人に必要として生まれてくる「怪談」は、どれも尊いもの
深津さんの「実話怪談」は、素直な言葉で語られているように感じていて、著書『怪談まみれ』を拝読したときは、まるで小説のように感じました。ホラーが苦手な私でも、過度に怖がらずに読めて。特に、できごとの羅列ではなく体験者が「どう思ったのか?」「なぜそう感じたのか?」という背景も書かれていたのが印象的でした。
ありがとうございます。やはり体験者さんの感情や温度をなくしては怪談は語れないと思うんです。特に大切な人を亡くした方からは、他の人には見えない人の姿が見えたり、音が聞こえたりすると、「あのとき、祖父が出てきてくれたんじゃないか」「祖母からのメッセージだったんじゃないか」と、故人の姿と重ねた解釈で体験談を聞かせてくださることもあるんです。
はい。
今でも心に残っているのが、昔お世話になった先輩が話してくれた体験談で。あまり「怪」を信じないリアリストな人ですが、「おじいちゃんが亡くなったとき、大きな虹がかかったんだ。すごく立派な虹で。おじいちゃんが出してくれたんだと思う」と、話してくれたんです。
他の人からすればただの虹に過ぎないし、科学的根拠もないかもしれない。でも先輩にとっては、本当に特別なできごとで、誰がなんと言おうと祖父がかけてくれた虹なんだと。
そうやって昔から人は、いろんな想像をしながら悲しみや喪失感を受け入れて生きてきたんじゃないかと思うんです。誰かに話を聞いてもらうことで気持ちが整理されるように、「怪談」という物語を自分の中で編みあげることで救われることもある。私自身、身内を亡くした経験を重ねながらそう感じました。
辛い経験をしてもなお、また明日も生きていかなきゃいけない。現実を受け入れる受け皿として怪談が生まれてくることもあるんですね。
はい。そう思うと一つひとつの怪談が、とても尊く感じて。大切なお話を聞かせてもらうからには、なるべく体験者さんが感じたことを忠実に素直に語り継ぎたい。なので著書にまとめるときは、「透明な書き手」になることを意識しています。「もっとこうしたい!怖くしたい!」という私の意思は、そこにはいらない。人に必要とされて生まれてきた怪談を、体験者さんが感じたままに、みなさんに届けることが尊いです。
なるほど。怪談はまるで、アルバムや日記のようだなと思いました。自分の気持ちや思い出を保管しておくために、人は写真を撮ったり日記をつけたりしますよね。それと同じで、怪談として物語にすることで、忙しない日々の中でも忘れずにちゃんと残しておけるのだろうなと。
ああ、素敵な表現ですね。たしかに。取材をしていると、一連のできごとを特別なものとして鮮明に記憶している方もいて。時々人に喋ることで昔のアルバムをめくるみたいに、「あのとき、こうだったよね。ああだったよね」と思い出せるのかなと思います。