生きづらかった10代を経て、自分らしい居場所の見つけ方
本当に、お話されるときの表情がイキイキされていて、怪談師というお仕事が好きなんだろうなと伝わってきます。
まさか怪談師になるとは、想像もしませんでしたが(笑)。好きなことで無理なく社会とつながりが持てて今はとても楽しいです。
学生時代は、小学校1年生から高校3年生まで不登校だったと伺いました。当時は苦しい気持ちを味わうことも多かったのかなと想像します。
そうですね。周りからは協調生がないとずっと言われてきましたし、学校という狭い世界で決められたルールや一つの正解に従って生きることがどうしてもしんどくて。集団に馴染めなくても、好かれなくてもいいかな、と思って生きていました。でも一方で子どもの頃は、家と学校しか自分の世界がないので、学校にうまく適応できないと自分自身がダメなような気がして。家にいることもまた罪悪感でしたね。
当時、深津さんを支えていたものは何だったのでしょう?
絵を描くことが好きで、自室でひたすら絵を描いていました。子どもの頃は、言語化ができないので、自分の感じている感情を認識することも他人に伝えることも難しい。周囲と自分の気持ちのギャップや、その伝わらなさに苦しんだとき、絵は言葉の代わりになってくれました。
また美術館は、自分の置かれている環境や立場、周りからどう見られているのか?という他人の目が気になる閉塞感から切り離されて、自分と作品だけの世界に入ることができる唯一の居場所でした。「作者はどんな気持ちでこの絵を描いたんだろう?」「どんな人生だったんだろう?」と自由に想像の枝葉を伸ばすことができ、心安らぐ時間でしたね。
本当に、絵だけが生きていくための拠り所だった暗い10代でした。
それでも学校以外に、自分だけの心が休まる場所があってよかったです。
そうですね。絵を通じてだんだんと世界が広がっていくようでした。絵を返して人とコミュニケーションを取る楽しさも覚え、美術大学に進学します。
大学生活を送る中で、怪談とも出会いますよね。
まさに、私がこれほどまでに怪談に惹かれる理由は、大学生活でのあるできごとに紐付いているんじゃないかと思っていて。
はい。
進学した大学は厳しい指導が多く、精神的に追い詰められ退学する学生が何人も出るほどでした。正解を言わないと咎められる。みんなの晒し者にされる。そんなピリピリした雰囲気からか、誰もが本当の自分を隠して背伸びをしながら過ごしていて。私自身もずっと不登校だったことは隠していたんです。そんなことを言ったらこの集団から弾かれてしまう。そう思うと怖くて、とてもじゃないけど打ち明けられなかった。常に「真面目な学生です」というお面を被って校内を歩いていました。
辛いですね……。
でも、どうしてもボロは出ます。他の学生と一緒に制作をするとき、教授から「みんなのためになるアイディアを考えてこい」とお題を出されたのですが、集団生活の経験が乏しくあれこれ提案しても、どうしても教授の求める正解にたどり着けない。すると突然、「お前は、人の気持ちがわからんのか!」と怒鳴られます。今思うと理不尽な叱咤だったとわかるのですが、あまりに酷い言葉をみんなの前で浴びせられ、心はボロボロでした。
もう自分のプライドなんて、守ってられない。意を決して、思い切って打ち明けます。
「実はこれまで不登校で学校に行っていなかったので、人の気持ちがわからないんです!考えろと言われても、考える材料がないんです!」
あまりに驚いたのか押し黙る教授を横目に、「ああ、これできっと仲良くしてくれていた友達にも嫌われちゃうだろうな」と、肩を落としていました。ダメな自分を、本当の自分を、知られてしまった。自分の周りから人は離れて行ってしまうだろう、と。
ところが意外なことに、その場にいた子たちは、これまで以上に心を開いて接してくれるようになったんです。取り繕っていた自分の殻を壊したら、「ああ、これ言っても大丈夫なんだ」「ふつうらしく振舞わなくてもいいんだ」と、本来の自分で人とつながることができました。
人生における大きな変化ですね。
ちょうどその頃は、初めて怪談会に行った時期でもありました。
ここでリンクしてくるんですね。
他人と比べてしまう自分。集団に馴染めないことをコンプレックスに思っている自分。ふつうでなければならないと思っている自分。そんな私だったからこそ、「生きていれば、自分の想像をはるかに超える不思議なできごともある。世の中にふつうなんてない」と教えてくれた怪談が響いたように思うんです。ボロボロになった傷口に染みたというか。一つの転機でしたね。
やりたい美術の道を進んでいたら、その授業でのショッキングなできごとがきっかけとなり、怪談に引き寄せられていった……。すごいつながりですね。
もちろん辛い経験だったので、一連のやりとりのおかげとは到底思えないですが、後付けでもいいから意味を見出して、物語にして、明日の糧にしたり自分を癒したりしているんだと思います。
人に必要とされて生まれてくる怪談と同じですね。
この世界でどうやって生きていこう、と思い悩んでいた当時の私に伝えたいです。居場所は自分で選べる。一つの場所が合わなくても、全ての場所がそうなわけじゃない。環境との相性の問題だから、心身を壊してしまうくらいならどんどん環境を探せばいい、と。
勇気づけられる言葉です。
そのために一つでもいいから、外の世界とつながる通気口を作ってあげるといいと思います。友達や家族と出かけるのもいいし、気になる映画を観るのでもいい、好きな作家を見つけて本を読むのでもいい。そこで楽しいと思えば、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自分の居場所を心地いいと思うところへ移していけます。
私はいつもそうやって、美術にせよ、怪談にせよ、導かれてきました。
生きていれば、必ず何かにつながる。
でも、いつ、どこで、つながるかは計算通りにはいかない。
だって人生は、なにが起きるかわからないから。
そう教えてくれた怪談に、私は今日も救われながら、楽しく暮らせています。
編集部のここが「#たしかに」
小さい頃から怖い話しが苦手で、怪談番組やホラー映画がテレビから流れると身を強張らせてチャンネルを変えていました。今思うと、「ふつう」「こうあるべき」「常識」という枠から外れた理解できない怪奇現象に対して「そんなのあり得ない!」「絶対にいるはずない!」と、拒否反応を示していたのだと思います。それは強靭な壁となり自分を守ってくれていたと同時に、曖昧なもの・わからないものを受け入れる隙間のない生きづらさにもつながっていました。
そんな頑なな恐怖心を溶かしてくれたのが、深津さんです。
「もしかしたら、この世界には自分の理解できないこともたくさんあって、『ふつう』という壁は自分が勝手に作り上げていたのかもしれない」
気がづくと、気持ちがふっと軽くなっていました。小さい頃、必死に追い出そうとしていた恐怖心を、「怖いものは、怖いまま」招き入れる隙間があってもいいのかもしれない。
その余白が、生きやすさになることもあるのだな、と教えてくれた心残るインタビューでした。
取材・執筆:貝津美里 編集:#たしかに編集部