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自分らしく生きるために、動き続ける。「花暮美容室」を営む菅沼政斗さんがローカルを拠点に美容師をやる理由

原宿の有名店で11年。技術を手に入れた先に生まれた思い

ーー菅沼さんがそもそも美容師を志したきっかけは何だったのでしょうか?

実はもともと美容師の夢を追いかけていたわけではないんです。高校3年生で進学先を考えた時に、進路指導の先生に美容の専門学校を勧められて。当時、いろんな美容室に行って髪を変えることが好きだったこともあり、新宿の山野美容専門学校に進学を決めました。

実際に入ってみると、すごく楽しかったんですよね。練習すればするだけ上手くなるし、頑張ったぶん技術が手に入るんです。

ーー実際に手を動かしてみて、楽しさに目覚めたんですね。

そうですね。あとは人をきれいにするとか人が変わる瞬間に関われるのって素敵だなと思ったので、美容師になろうと決めました。

ーー美容にまつわるお仕事ならではですね。卒業後はどのような進路を?

一番はじめは神奈川県にあるチェーンの美容室に入りましたが、もっとヘアデザインに没頭できる環境を求めて東京に出ました。ヘアメイクのお店で働きながら「カットが上手くなりたい」と思っていた25歳の時に、原宿の「DADA CuBiC」のオーナーに声を掛けられたんです。

当時からかなりの有名店でしたし、厳しいことでも評判でした。でもカットでは日本一のお店だと思っていたから、思い切って飛び込むことにしたんです。

ーーひとつ大きな決断ですよね。

そうですね。当時僕みたいに途中で入るということ自体、かなりレアケースだったんです。実際かなり厳しかったけれど、基礎を一から学び直すことができてとても感謝していますね。結果、11年間働きました。

ーー有名店でヘアスタイリストとして活躍されていた中、辞めることにしたのはなぜですか?

「カットをする人」「シャンプーをする人」「カラーをする人」など工程ごとに担当する人が分かれていて、僕はカット専門の立場でしかお客様と接することができなかった。それはお店を回す上で仕方ないことなんだけど、30歳を越えたあたりで違和感を抱くようになったんです。

カットだけでなくシャンプーもしてあげたいし、できることならトータルでデザインしたい。お客様も最初から最後まで一人に担当してもらった方が安心だと思うんですよね。

ーーたしかに、いろんな方に入れ替わり立ち替わり担当していただくとなんだか申し訳ない気持ちになってしまって……。正直、お一人に担当してもらえた方が安心します。

そうですよね。僕自身、一人ひとりのお客様との時間をもっと丁寧に取りたいという思いが強くなったんです。それに、東京で11年間働いて身に着けた技術を生かして、もっと面白いことがやりたいなと。

もともと敷かれたレールに沿って生きるのが嫌いなタイプなこともあり(笑)、別の土地でチャレンジしてみたいと思って仕事の拠点を逗子に移すことを決めました。

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