先の見えない状況が続いた芸能界時代
ーーこの度は文庫化おめでとうございます!早速なのですが、まずは大木さんのキャリアについてお聞きできますか?
ありがとうございます! 私は14歳で女優デビューし、学園ものドラマを中心に女優活動をしていました。そして、19歳の終わりにSDN48のグループオーディションの話を聞き、オーディションを受けたところ、合格。アイドルとしてもデビューします。
そして、21歳の時にグループが解散し、地下アイドルになりました。ただ、地下アイドルもあまり続かずで。
ーーやっぱり、女優やアイドルへの憧れを持っていたのでしょうか?
実を言うと当時、そういう意思を持っていたわけではなかったんです。
家庭の事情なんですが、14歳の時に父親が亡くなって。できれば家計的にも母親を助けたかったし、「バイトしよう。芸能界いいじゃん」って本当に勢いだったんですよ。
流れるように芸能界に入ったけど、生半端な気持ちでは淘汰される世界なので、流れる中でも自分なりに「頑張ろう」という気持ちはありましたね。
ーー芸能界って続けていくのがとても難しそうなイメージがあります……!
私がアイドル時代に所属していたSDN48のグループは、特に踊りに厳しくて。私はダンスがなかなか上達しなくて、デビューしてから1年間はステージに立てなかったんです。そこで、精神的にも肉体的にもボコボコになり……。厳しい環境でも頑張りたい。でも未来が見えない。といった複雑な状況でした。
ーーそんな過酷なアイドル時代、大木さんは客観的に自分の将来について考えることがあったのでしょうか。
それが考える暇もなくて。ただ、人気が基準になるアイドルグループに所属していたので、私も周りも一位を目指さないという使命感がありました。「漠然と何者かになるんだろうな」とは思っていたんですけど、先のことは全然分からなかったです。
地下アイドルをやめて、「これからどうしようかな…..」と思っていた24歳の時に、「しらべえ」というウェブメディアのライターに応募してコラムニストになり、25歳でその会社の正社員になりました。