がむしゃらだった会社員生活
ーー牛久保さんが福井に来る前のことを教えてもらえますか?
大学を卒業を卒業後、スープ専門店を全国展開する会社に新卒で入り、東京を中心に7年間働いていました。会社が成長期ということもあり、店長やオペレーションマネージャー、新卒インターンのサポートなど、同じ会社でもいろんな経験をさせてもらっていました。すごく面白い会社で、かっこいい人たちも周りにいて、いい会社だったんです。
ーー7年勤めて、辞めようと思ったのはなぜ?
いろんな理由がありますが、まずは日々の仕事で自分のペースが掴めなくなったことですね。お店の売り上げを上げることやコストコントロールなどで頭がいっぱいでした。その頃はどれだけ頑張ったかという根性論で仕事をしていたような気がします。
ーー何事も全力だったんですね。
当時はとにかくがむしゃらでしたが、その頑張り方が正しいかどうかもわからなかったんですよね。
ちょうど東日本大震災が起こった時も新店舗の立ち上げに追われていたのですが、震災後1年くらいたって、心身のバランスを崩してしまいました。あ、これはいけないなと思いながらも、まだその頃はどうすればいいのか迷いがありましたね。
ーーそういう時ってなかなか決断するのが難しいですよね。
そうですね。7年もいると、今の状況が当たり前だと思って、その価値観で固まってしまう怖さもありました。でも新入社員の研修を担当した時に、新しい価値観を持った若い世代と接して衝撃を受けたんです。考え方が柔軟だし、みんなキラキラしてるなと思って。
これまで毎日気絶するような忙しさだったけど、面白い会社で働けるのがいいなと思っていたんです。でも、面白いのは会社であって私ではない。ちゃんと「自分の旗」を立てなきゃなと思うようになりました。
ーー「自分の旗」ですか。
当時、私は東京都墨田区京島というまちでルームシェアをしていたのですが、その時に過ごした人たちの存在も大きかったですね。みんなお金はあまりないけどそれぞれの生業を持っていて、いつもすごく楽しそうだったんです。
このまま我慢して今の生活を続けていて、この仲間たちと10年後笑ってお酒を飲めるのかなって。この人たちとずっと一緒に居られるように、自分も楽しいことをし続けよう。自分にも、大事な友人たちにも胸を張れる生き方をしようと思って、会社を辞めました。
▲会社を辞めた年に書いた書き初め。自分への叱咤激励のつもりで書いた言葉が、人生の行方を決める決断に