『ふたりのももたろう』とは
▲表・裏でA面とB面のあるジャバラ構造になっている。A面のタイトルは「おにたいじのももたろう」、B面は「おにのこももたろう」。
<あらすじ>
むかしむかしあるところに、桃から生まれたももたろうが……実はもうひとりいたら?!
A面は、川で拾われ、おばあさんとおじいさんに育てられた誰もが知るももたろうの物語。そしてB面は、おばあさんに拾われなかった桃が鬼の住む島に流れ着き、鬼に育てられたももたろうの物語が。
人間に恐れられている鬼が住むその島は、「にじがしま」という名前で、鬼たち同士が多様性を尊重しながら暮らしていた。
しかし、そのにじがしまである日、鬼退治にやって来たももたろうと、鬼とともに楽しく暮らしていたももたろうが出会ってしまう───。
2つの視点で読む令和版・ももたろうの物語。
「めでたしめでたし」が簡単に言えない時代に
さっそく矢部さんに『ふたりのももたろう』を読んでいただきましたが、率直な感想をお聞かせいただけますか……?
そうですね、面白く読みました。
言わせてしまった感じがありますよね、すみません(笑)。
いえいえ(笑)。ここでの面白さというのは、読みながらすごくいろんなことを考えたなということです。最後にふたりのももたろうが出会ったときに明確な結末がないのも、どっちが良いとか悪いとかのわかりやすいことではないし、簡単に答えが出るものでもないからなんだろうなと思いましたね。
まさに、鬼退治に来たA面のももたろうと、鬼とともに暮らしていたB面のももたろうが出会ってしまったあとにどうなるのか、読者自身に考えてもらうためにあえてわかりやすい結末がないつくりになっているんです。
今まで僕らは、一般的な桃太郎の結末に何の疑問を持っていなかったですよね。僕らは鬼を退治できて「めでたしめでたし」って思っていたけれど、この時代にはたして「めでたしめでたし」というのは何なのか、もう一度考える必要があるなあって。
どこで区切ればめでたしになるのかってすごく難しいから、真摯に向き合って作品を作ると、やっぱりこういう終わり方になるのかなと思います。
たしかに、価値観が多様化しているからこそ、全ての人にとっての「めでたしめでたし」をつくるのは難しいと感じます。
いろんな世界があっていろんな人がいることを考えると、手放しに「めでたしめでたし」とは言いづらいなと思うところありますよね。でも、鬼に困らされているから退治しようとすることも、自分の力で社会を変えられるというのも否定しちゃいけないと思うんです。今回の絵本では、鬼ヶ島とは別の、もう一つ鬼の島が出てきますよね。
そうですね、B面のももたろうが育った「にじがしま」という島があります。人間に恐れられているはずの鬼たちが、この島ではそれぞれの「スキ」を尊重して楽しく暮らしています。
こうやって読むと、人間が住む世界よりも、「にじがしま」の方がみんなの幸福度が高い感じがしますよね。争いもないし、文化的な営みがあるような気がして。こういう場所の方が住みたいです。だからそこに暴力を持ち込んでしまったときにどうなるのか、いろんなことを思ってしまいますね。
絵本の最後では、A面のももたろうが仲間を引き連れて鬼退治のために「にじがしま」に押しかけ、自分とそっくりなB面のももたろうに出会って驚いたところで終わっています。矢部さんだったらどんな結末になると思いますか?
そうですね……。まずA面のももたろうは「鬼退治をするぞー!」っていうテンションで来てるから、B面のももたろうに出くわすまでにきっと、相当鬼を撃退しちゃってますよね。
たしかに(笑)。
すでに相当な数の鬼を退治してアドレナリンがすごい出ているから、その状態の彼と議論するのって難しそうだなって感じちゃいました。
だからA面のももたろうが鬼退治に来る前に、おじいさんとおばあさんがもっと別の世界があることを想像出来て、それをももたろうに話してあげたり、ももたろうが教育を受けられたりしていれば、ふたりが出会う手前で終われたんじゃないかなと。できればやっぱり、暴力で解決しない方がいいんじゃないかなと思いますね。
鬼といえば、今は『鬼滅の刃』が国内外問わず人気を博していますね。
そうですね。あの作品では鬼たちが鬼にならざるを得なかった背景が描かれることで、彼らの人生を想像できるところもありますけども。それでもやっぱり、結局は暴力ですべての物事が解決するところがあるなとは思うんですよね。
もちろんむちゃくちゃ面白いし、わくわくして読み進めていたというのが大前提としてあるんです。でも、こんなに鬼を退治しているのにわくわくしてること自体も、ふと考えたりしちゃいますよね。
たしかに、彼らにもさまざまな背景があると知るとなお、鬼の首が切れる瞬間はどうしてもやりきれない気持ちがありました。でもやはり鬼が人間を脅かす存在である以上、最終的には殺すか目の前からいなくすることでしか解決できないのかなとも思ったり……。
『鬼滅の刃』と同じ「少年ジャンプ」で連載されていた漫画に、『約束のネバーランド*1』という作品があるんですね。
*1『約束のネバーランド』白井カイウ(原作)、出水ぽすか(作画)
親のいない子どもたちが暮らす「グレイス=フィールドハウス」。そこで暮らすエマ、ノーマン、レイの3人は、ひょんなことから自分たちが人を食う“鬼”の食事として育てられていることを知り、死の運命に立ち向かっていく。
テレビアニメ化や映画化もしている人気の作品ですね。この作品でも、「鬼」という存在とどう向き合っていくかが描かれていますよね。
そうです。これはどちらかというと、人間と鬼の共存を考えるというか。暴力ではない解決方法をひたすら探っていくような漫画なのかなと思っていて。鬼を殺さず、滅ぼさずに共存する方法を模索するんですよね。
そうか、この作品のように別々の場所で育って違う価値観を持つふたりのももたろうも、共存していく方法をともに模索していけるのかもしれない……?
『約束のネバーランド』ではその可能性も描いてくれている気がしますね。『ふたりのももたろう』でも、同じように暴力ではない共存に向かう結末になったらいいなと思います。とはいえ、そこにはいろんな複雑な事情があるから難しいかもしれないですよね。
なかなか一筋縄ではいかない部分もありそうです。ももたろうのように、誰もが知る有名な作品は時代を超えて語り継がれていきますが、価値観が変化していく以上、時代にあわせてアップデートする必要があるんじゃないかなと思っていて。
そういえば僕、ちょうどそういった昔ばなしや童話をもう一度解釈した、子供向けの本の挿絵を最近描いているんですよ。今回の取材に内容にぴったりな話かなと思って。
めちゃくちゃ興味あります。
僕のお仕事の先輩の、石原健次さんという放送作家の方が書いているのですが、童話探偵が童話を読んで、物語のもう一つの解釈を提示していくという内容なんです。『アリとキリギリス』など、全部で20作品がとりあげられています。
それぞれの童話にどんな解釈がなされるのかすごく気になる……。子どもだけでなく、大人が読んでもいろんな発見がありそうですね。
そう思います。石原さんの前書きによると、極楽とんぼの加藤浩次さんに「朝の情報番組で難しいことはなんですか?」とお聞きしたところ、加藤さんはいろんな人の立場になって話すことが難しい、「正義の反対は相手の正義」なんだと言ったそうなんです。そこから着想を得たらしく。
おおお……。昨今のSNSでも、個々人の正義と正義がぶつかりあって分断を招いているように感じますし、まさに言い得て妙だ……。
ある人の状況から考えればこれが正しいし正義だとしても、別の人の状況から見たら全然違うということはよくありますよね。その中で、自分から見えるものや正しいと感じることに固執するのではなく、他の人たちはどうなんだろうと考えることがきっと大切なんだと思っています。