分断の背景にある、日本人の無意識な差別感情
日本では最近、「分断」というワードがメディアに頻出します。一方で重視される「多様な価値観」とは相反するように感じますが、いったい何が起こっているのでしょうか??
私は若い頃に2年間、アメリカに留学したことがあります。その時に気づいたのが、「日本には無意識の差別が多い」ということです。当時の日本には「外国人お断り」というお店もありましたし、「男の子だから泣くな」「女の子なら優しくしなさい」「背が高いからカッコいい」「あの人はゲイだから……」といった言説も日常茶飯事でした。実はこうした表現、欧米では完全にアウトなんですよね。
“無意識”という点に、日本の特徴があるのですね。
たしかにアメリカには、黒人や移民への差別に見られるような、露骨な差別主義者は残念ながら今も存在します。しかし、公共空間での差別は基本的には行わないことが合意されている社会です。他方、日本で深刻なのは、自分が差別をしていることを自覚していない人が少なくない点です。これが無意識の差別です。
なぜ、日本には無意識の差別が存在するのでしょうか。
文化として根付いてしまっていて、その問題への意識がまだ十分に高まっていない点が大きいように思います。例えば政治家が失言をするケース。彼らはさほど悪いと思っていないように見受けられます。一方で「老害」という言葉で彼らを批判する人もいます。年齢を重ねることを「害」と言っているわけですから、こちらも年齢への偏見・差別ですよね。日本語には差別的な用語が多く、私たちは気付かぬうちに使っていること知らなければなりません。かつては残念ながら「片手落ち」「バカチョン」などの差別用語もありました。今も、「老害」「男らしく」「デブ」「美人」などの差別・区別用語が根強く残っています。
言葉のレベルで表れているということは、歴史的背景も関係するのかもしれません。
日本は島国に形成された単一民族国家だと表現されることがよくあります。そもそもアイヌの方々などもいるので、それ自体も差別的な表現なのですが、均一な民族だと思い込んでいる面があります。江戸時代の鎖国時には、良くも悪くも単一民族的な文化が醸成され、明治維新で間口を開いたものの、それから160年経った今もその影響は残っているというべきでしょう。一方、アメリカでは次々と異国からの移民が入ってくる。年齢も性別も肌の色も、指摘している場合じゃないわけです。国が形成された経緯にも、原因があるというべきでしょう。