人間もロボットも、環境に依存する他力本願な存在
岡田教授はどのような経緯で、“弱いロボット”の開発に至ったのでしょうか。
もともと音声言語処理の研究者でもあった私は、2次元、つまり画面の中でキャラクターと対話できるシステムを構築していたんです。大げさに言うと「メタバースのはしり」ですが、「雑談ができたら楽しいんじゃないか」くらいの発想でした。しかし実際に開発をしてみると、雑談というのは意外と複雑なんです。おまけに2次元のキャラクターというのは、例えば宙を浮かせたい場合に、地面からの距離などを細かくプログラミングしなければなりません。仮想よりも現実の方が、手間がかからないわけです。そうした流れもあり、ロボット開発を始めました。
対話というとAIを思い浮かべますが、先生はAIを目指していたのでしょうか?
AIにもいろいろな考え方があって、私は“インタラクション”という人とのやりとりや社会的相互行為といった概念を重視しています。知能、つまり頭の中の賢さも、高度な技術を要しますが、自分の外側にある人間や物事とやりとりをする能力というのは、知能とは少し違うんですね。そうした社会的な行動を研究する形でAIの知見を活用し、外の世界と関わり合うロボットを開発してきた流れになります。
頭の中の賢さと、外の世界と関わり合う能力の違いは、人間に置き換えてもわかるような気がします。
そうですね。30年ほど前に「生態心理学」という研究分野に出会って、新しい視点を得ることができました。私たちは通常、頭の中で何か物事を考え、身体を動かしていると考えます。つまり手足を動かしているのは自分自身、そう考えていますよね?
……違うんですか?
生態心理学では、自分の身体と環境の間で作り上げた情報によって、身体を動かしていると考えるんです。例えば、自動車の車庫入れで、自分の頭の中で全てを把握しながらハンドルとブレーキペダルを操作するのは、かなりしんどいですよね。でも実際には、バックミラーを眺めながら、自らの行為に伴う「見え」の変化を手掛かりに何気なく操作をしている。初心者はこれができずにぶつけますが……(笑)。つまり、いったん環境に身を委ねて、外側の情報からコントロールしてもらうように動いた方が、簡単だということです。
たしかに、日常動作のほとんどは、「こうしよう」と思って行っているわけではありません。
この考えをロボットにも応用すれば、全てを頭の中で正確に計算しようとすると、うまくいかないことが想像できると思います。二足歩行のロボットがどこか辿々しく見えるのも、そのためです。しかし基本的に開発者というのは、万能で自己完結型のロボットを目指しがちです。特に日本のエンジニアは律儀なので、そういう人が多い(笑)。すると不具合が起きたり、実装されずに終わってしまうこともあります。であれば、もっと開放的に、外の環境に委ねながら情報を拾っていくロボットをつくればいい。お掃除ロボットの「ルンバ」も、壁にぶつかりながら、次に進むべき方向を教わりながら移動していきますよね。私も、そんな“他力本願”なロボットの方が、結果として役立つと考えているんです。