
自分の心が「うん」ということを。高知に移住して会社をつくってわかったこと#たしかに

“手間なくよい食と暮らす”をコンセプトに、地方の生産者さんが手がけた美味しい食材を全国へ届ける「イナカデリコ」をご存知でしょうか。立ち上げたのは浅野聡子さん。東京の仕事を辞めて高知へ移住し、一からサービスを立ち上げたとてもパワフルな方です。
そんな浅野さんに、移住のハードル、事業立ち上げの苦労、新型コロナウイルスの影響や今後の展開などを伺いました。自ら人生を切り拓いていくにはどうしたらいいのだろう?なにかヒントをもらえたら!そう思いながら、インタビューをはじめました。
(リモート取材に応えてくださった浅野さん)
東京を離れるのは、今生の別れじゃない。
——そもそも、移住を考えたキッカケって、なんだったんでしょう?
高知はもともと私には縁もゆかりもない土地で。東京で社内結婚した夫の実家の家業を継ぐために、ついてきたんです。知り合いも友達もだーれもいないところからのスタートでした。
それまで東京の広告代理店で、営業職として全力で仕事してきたにも関わらず…です。それが30歳の時。でも、移住しても働き続けたいとは思っていて。自分の居場所探しというか、どんな人生を始めようかなぁと、そんなことを思っていました。
——見知らぬ土地で新しい人生…。不安はなかったですか?
むしろワクワクする気持ちの方が大きかったですね。東京を離れるのって別に今生の別れじゃないし、高知から東京って飛行機で1時間半くらい。近い!どこにいてもそんなに変わらないなぁって。
ただ、それまで営業しか経験がなかったので、「高知で何ができるんだろう?」とは考えていました。移住したのが2014年。当時、高知では「地産外商」という取り組みが盛り上がっていて「これだ」と、直感しました。
——「地産地消」はよく聞きますが、「地産外商」ってコトバ初めて聞きました!
地の物を外に売るってことですね(笑)。高知って、結構大きな県なんですけど、人口は70万人なんです。東京の世田谷区よりも少ないんですよ。地方はどこも人口減少に頭を悩ませていますが、高知の地域経済も待った無しの状態。たまたま民間からの募集枠がひとつ空いていて、営業としてモノを売ってきた私の経験が活かせるかも!と飛びつきました。
そこから1年間、行政で働きながら勉強させてもらいました。そして行政での仕事期間を終えた翌日に、会社を立ち上げました。
(浅野さんとフルーツトマトの生産者さんとの一枚)
——すごいスピード感ですね!そこから「イナカデリコ」はどうやって生まれたんですか?
いきなりイナカデリコをスタートできたわけではなく、最初はとにかくたくさん生産者さんに会いに行きました。ネット販売のお手伝いをしたり、商品デザインを一新したりと、いろいろと行動していく中でサービスのコンセプトが見えてきました。
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