高度経済成長期にビジネスマンのために作られた
ーー首都高を利用する際、このビルの存在がいつも気になっていました。もともとどうしてつくられたんですか?
まず、1970年の大阪万博の時に高度経済成長期の人口の増減に合わせ、建物も生き物のように変化した方がいいと唱えた建築思想「メタボリズム」のひとつとして、建築家の黒川紀章さんがカプセル住宅の展示をしていたんですよ。カプセルを付け替えて、時代に応じた機能を追加していくという計画でした。
それを見た不動産会社中銀グループの社長が「銀座にこういうものをつくってほしい!」といったお願いを黒川さんにして、1972年に完成したのがこのビルです。
ーーいくらぐらいで販売されたんですか?
当時の販売価格はひとつのカプセルで380〜480万円、今でいうとおよそ2000〜2500万円です。銀座という立地を考えるとこの値段はとても安いと思います。
ーーその値段でも安いんですね(笑) 当時はどのような人が使っていたんでしょうか?
購入された方の7割はビジネスマンで、仕事のためと言いながらも、当時のパンフレットにも「ビジネスマンの都心の基地」って書かれていたように、夜飲んでここに泊まる「遊びの場」として使っていた人が多かったみたいです。それに昔はビル内に「カプセルレディ」がいて。
ーーカプセルレディ……?
ミニスカートを履いた女性がビジネスをサポートするために常駐していました。タイプライターで書類作成や電話番をしてくれる秘書的な役割のカプセルレディも当初売りでしたね。
ーービジネスマンのための建物だったんですね。カプセルは25年間程度で交換される予定だったとか。
そうなんです。このビルの2本の塔には140個のカプセルが取り付けられていて、その一つ一つを定期的に交換する予定でした。だけど、金銭的な問題もあって交換できなかった。だからこそ老朽化したカプセルは住人によるリノベーションが進んでいったんです。
ーーえ! 住人が好きなようにリノベーションしていいんですか?
購入されたらそれぞれ自由に改装してもらって大丈夫です。窓を作り変える人、茶室にしてしまう人など、カプセルにその人の個性が分かりやすいほど現れます。どの部屋も広さと丸窓が共通しているからなのか、オリジナリティが出しやすいんでしょうね。面白いのがカプセル内で雨漏りしたら喜ぶ住人が割といて……。
ーー雨漏りが嬉しいんですか(笑)
このビルで雨漏りってある意味「勲章」のようなもので。雨漏りを体験して、やっと一人前の住人になるんですよ(笑) だから、ほとんどの住人が嬉しそうに対応しますね。
ーー面白いですね。現在はどのように使われているんですか?
今は住居以外にも地方に住んでいる方が東京の拠点としてのセカンドハウス、事務所や趣味用して使う人が多いです。今はもう募集を終了しましたが、月単位の賃貸物件として貸し出しもしていて、最終回は倍率が10倍以上と、とても人気でした。通常の賃貸の家賃は月6~8万円のところが多かったです。
住人はデザイナーやアーティスト、建築家などのクリエイティブな仕事の人が多くて、そんな様子をSNSとかで見て、「自分も体験してみたい」と思う人が増えたんじゃないでしょうか。