未経験から始めた下着作り。「選択肢」を増やしたい
ーーまずは、黒川さんが下着に関心を持った理由を教えていただけますか?
もともと子どもの頃、アトピーが酷かったんです。小学生の時には、ナイロン素材の体操ズボンが合わなくて、お尻が腫れ上がってしまったこともありました。それ以来、化学繊維がとにかく苦手になってしまって。
成長して自分で下着を買うようになってからも、自分が欲しいものが全然なくて困っていました。結局、化繊の商品が多いから仕方なく使っていたんですよね。
ーー着けないといけないものが肌に合わないとしんどいですよね……。
そうそう。上京してきた当時、初めて大きい下着売り場に行ったら、サテンの生地でリボンがたくさん付いたワイヤーブラジャーばかりが並んでいてびっくりしたんです。他に選択肢がなかった。
もちろんそれが好みだったらいいけれど、そうでない人にとっては辛いですよね。もっと自由に選べるようになったらいいのにって。
ーー今でこそ身体にやさしいノンワイヤーの下着ブランドも増えていますが、わたしの周りでも5~10年ほど前までは、パッドやワイヤーがしっかり入ったものを当たり前のように着けていた気がします。
そうですよね。天然素材の商品もあるにはあるけれど、色が地味だったりゴムがきつかったりして。わたし自身、いろんな下着をジプシーしてきたけれど、なかなか合うものが見つからなかったんです。
だから、いつか自分自身で下着を作りたいという思いはずっと胸の中にありました。
ーーなるほど。本業をお聞きして驚いたのですが、黒川さんは現役のクラリネット奏者なんですよね。そんな黒川さんが、実際に下着作りを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
普段はフリーランスで音楽の仕事をしていますが、10年程前のことですがたまたま1ヶ月ほど仕事がない時期がありました。とはいえ忙しさに波があるのでアルバイトをするのは難しく、何か刹那的ではないことができないかなと漠然と考えていました。
そんな中、仲良くしてもらっていた先輩ミュージシャンたちが自分たちの好きなことで仕事をしながら音楽活動をしているのを思い出して。「別に仕事はひとつじゃなくてもいいんじゃないか」と思うようになったんです。
ーーそこで思い浮かんだのが、下着作りだったんですね。
はい。空いている時に自分一人で作って販売できればいいなと思って、100円で買ってきたパンツを解体して型を取るところから始めました。
当時、洋裁の技術もなければミシンすら持っていなくて(笑)。大家さんのお孫さんが使っている子ども用のミシンを借りて自分でやってみたんだけれど、家庭用のミシンには限界があるし、ゴムをつけるのも難しくて大変だったんです。
でも、試行錯誤を重ねるうちに「いい感じかも」と思えるところまで持っていくことができました。
ーーまったくの未経験から形にする気概がかっこいいです……。
その兆しが見えたタイミングで、パンツを作っていることに興味を持ってくれていた友人の深沢 (深沢由起美)に相談したところ、「手伝うよ!」と言ってくれて。彼女は服飾の学校を卒業して、フリーでデザインから裁縫までやっている人だったので、そこからはパタンナーとして全部の商品を作ってくれました。
その中で、PRやビジュアルデザインなど専門的なところは新たな仲間に入ってもらい、5年という時間をかけてJUBAN DO ONIが誕生したんです。