水泳に打ち込み、パティシエを夢見た子ども時代
クッキーアーティストとしてロンドンを拠点に活動しているKUNIKAさん。子どもの頃から「海外に住みたい!」「クッキーアーティストになりたい」といった憧れがあったのでしょうか。
いえ!今の姿はまったく想像していませんでした。夢や目標を追いかけ努力を積み重ねてきたというより、目の前の楽しい好きなこと、やりたいことに夢中になって生きていたら、いつの間にか「ロンドンに住みながらクッキーアーティスト」として活動をするようになっていた、というような感じで。私の人生は、思いがけないできごとの連続なんです。
今日はその、“人生に起きた思いがけないできごと”について、じっくりお話を伺えたらと思うのですが、まず最初に子どもの頃はどんなことに夢中でしたか?
ずっと水泳をしていました。水泳が盛んな地域で生まれ育ったからか、自然な流れで習い始めましたね。学校から帰宅してランドセルを置いたら、すぐ水着に着替えて練習へ向かう。学校とプールの往復が基本の生活でした。
かなり熱を入れていたのですね。
おかげさまでジュニアオリンピックにも出場することができ、本気でオリンピック選手になりたいと思った時期もありました。でも水泳は自分の意思というよりも習慣というか。生活の一部という感覚でしたね。高校では飛び込みに転向して続けていました。
ご自身の意思で「好きだな、楽しいな」というものに最初に出会ったのはいつ頃でしたか?
中学1年生のときです。職業体験の授業でケーキ屋さんに実習に行き、実際にショートケーキをつくらせてもらったんです。それを母と祖母がおいしそうに食べてくれて、弾けるような笑顔で「おいしいよ」「ありがとね」と喜んでくれました。それがすっごく嬉しくて。「これを仕事にしたい!」と、ビビッと来た瞬間でした。高校卒業後は、菓子の専門学校に進学しパティシエを目指すのですが、原体験はここに詰まっていますね。
素敵です!その後の人生に大きな影響を与えるできごとだったのですね。
これをきっかけに、ものづくりへの興味も湧きました。高校の文化祭のファッションショーでは、ショートケーキをモチーフにした洋服をつくってみたり。菓子の専門学校に進学後も、夜な夜なスイーツをモチーフにしたアクセサリーや雑貨をつくったり。想像を自由に羽ばたかせてものづくりをする時間は、何より自分の癒しになっていました。嫌なことや悩みを忘れて没頭できる。大好きな趣味ができた感覚でしたね。
水泳に打ち込む生活から一転、スイーツやファッション、雑貨に興味が芽生えていったのですね。
本当にアスリートのような生活を送っていたので、高校生あたりからデコラティブなファッションへの憧れが爆発したんだと思います(笑)。とにかく可愛い、おしゃれなアイテムをつくったり身につけたりするのが大好きでした。
個性をのびのび表現することは、自分らしく生きる力を与えてくれますよね。一方で水泳への未練はありませんでしたか?
はい、中学生あたりから自分の限界も見えてきていたので、潮時かなと感じていました。高校生になったら辞めよう。そう思い進学先を探していたところ、どうしても行きたい高校の倍率が高くて。中学時代の水泳の実績を糧にスポーツ推薦で進学することができると知りました。そのときほど「水泳をやっていってよかった!」と思ったことはありません(笑)。続けていれば、いつか何かに役立つこともあると学びました。
過去の積み重ねが、未来の自分を助けてくれたのですね。
実はパティシエを目指していた専門学生時代も、インターンの応募で水泳の経験が役立ったことがあるんです。
え!?そうなんですか?
学校の都合でなかなかインターンの受け入れ先が見つからなかったのですが、一社だけ「うちでインターンしてみる?」と言ってくれた会社があって。面接で履歴書を見たヘッドシェフが「私の子どもたちも水泳のジュニアオリンピックに出ていてね」と話してくれたんです。
思いがけない共通点ですね!
そうなんです。びっくりしました!水泳で培ってきた経験を汲み取ってくださった部分もあったのだと思います。インターン中も親身に見守ってくれました。
不思議なご縁がつながりますね。
卒業後は、5つ星ホテルの『マンダリンオリエンタル東京』でパティシエとして就職。そうして中学生の頃に抱いた夢を叶えることができました。
素敵なエピソードです。まったく違うジャンルや分野の経験でも、次のステップを切り拓くきっかけになることもある。ひょんなところからチャンスが訪れることもあるんですね。
「なんのためにやっているんだろう、なんの意味があるのだろう」そう思うことも、いつ何がどう結びつくかわからない。だからこそ人生って面白いのかもなぁと学生の頃から漠然と感じていましたね。