手元を離れた存在に、自己完結を求めてしまう私たち
完璧を目指さない“弱いロボット”は、テクノロジー全般においてもヒントを与えてくれそうな気がします。技術の進展が現代社会に及ぼす影響について、何か考えることはありますか?
ロボットに限らず、もともと技術と人間というのは、相互に依存していました。ハサミは、その辺に置いてあっても何の役にもたちません。人間が手にとって初めて機能するわけです。同時に、人間も自分の手が柔らかくて切れない物があるから、ハサミに頼る。このように互いの弱みを補い合い、強みを引き出していく点が、本来の技術のあり方です。しかし時代の変化とともに、技術はいつの間にか「人間が楽をするため」のツールへと変化しました。さらにハサミが自動裁断機やレーザーカッターに進化すると、もともと人間ができていたこともアウトソーシングするようになるわけです。
洗濯機や食洗機もそうですね。自動化がターニングポイントなのでしょうか。ChatGPTも、思考を代替してくれる点で大きな存在ですが、人間が本来やっていたことのアウトソーシングです。
自分の手元を離れてなんでもやってくれるようになると、技術に対する期待値も上がります。すると、少しでも欠点があれば、今度は不満が生まれ始める。レーザーカッターがうるさいと落ち着きませんし、電車が遅延したり、スマートフォンがつながらないと、クレームの対象になるわけです。これは、人と物の間に距離が生まれ、相互依存の関係がなくなり、「やってくれるシステム」と「やってもらう人」という関係に陥ったことが原因だと考えられます。私たちは、システムに対しても不寛容になってしまっているんですね。
たしかに、本来の道具の機能からかけ離れて、ありがたみや愛着がわかなくなっているように感じます。
自己完結の万能な機能を求めるのは、人間に対しても同様かもしれません。部下に対して要求水準をどんどん高める上司がそうですよね。本来、会社というものは、互いが緩く依存し合うための組織なのですが、どこかのボタンの掛け違いで、能力主義や自己責任論に陥ってしまったのでしょう。
タレントがSNSで炎上するのも、「有名人が万能なものだ」という期待があって、そこから少しズレると起こりますね。
他者というのは、遠くから見ていると、自己完結しているような存在に見えるものなんです。でも本当の人間は、自己完結できずに環境に補ってもらいながら生きている。人と人との距離が隔てられると、相手が万能だという錯覚が生じてしまうのですが、これは機械化やデジタル化が拍車をかけていることも大きいでしょう。
そうした危機を解消するために、方法はあるのでしょうか。
情報社会に生きる私たちは、インターネットなどを通じて自己完結した意見に触れる生活をしています。一方で現実の人間は、常に不完全で暫定的な考えを、相手や環境に委ねながら、その反応を見て精緻にしていくようにできている。そのことを忘れてしまうと、行為や知覚を忘れた、偏った機能の思考に陥ってしまうんですね。もっと互いが弱い存在であることを認めて、依存しながら生きる仕組みが求められるのかもしれません。
編集部のここが「#たしかに」
人と人、人と物の距離感が生まれることで、相手に完璧を求めてしまう。この錯覚が、現代社会の多くの問題につながっていることを、今回の取材で感じました。そうした中で「弱いロボット」に接すると、相互に依存することの大切さを思い出させてくれます。自然と愛着を抱いてしまうのは、ユーザーが複雑な現代社会に囚われているからかもしれません。
AIやSNSが発達した現代においては、それぞれのツールが持つ本来の役割を考え直すことで、物事に寛容になれる可能性がある。岡田先生の一風変わった研究は、そんな面白い視点を与えてくれました。
取材・執筆:相澤優太 撮影:布川航太 編集:#たしかに編集部