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BambooCut竹内順平さんが梅干しから気づいた「曖昧」を楽しむ大切さ

挫折を味わいたかった理由

ーー竹内さんご自身は、「梅干しプロデューサー」になるまでどのようなことをしていたんでしょうか?

僕の父は落語家で、その影響もあってもともと落語家を目指していたんです。ちょうど僕が大学を卒業するタイミングで、父がコピーライターの糸井重里さんと仕事をしていて。糸井さんが主宰のwebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を調べました。

すると、ハロウィンにカボチャをくり抜く、というだけのコンテンツがあったりして、なんておもしろいことをしているんだろうと思って。アルバイトで働かせてもらえたらとお願いしました。

ーー糸井さんの事務所にはどのくらいいたんですか?

2年ですね。ちょうど糸井さんの事務所を卒業するタイミングで、大学の同級生で現在の会社の相方である切替が僕に「一緒に会社やらない?」っていう話を持ちかけてくれて。

当時25歳で、そんな若造にいきなり仕事が来るわけないので、自分たちで「こういうことをやりたいんだ」っていう表現から始めました。やるんだったら何かなと思った時に、「梅干し」が思い浮かんだんです。そして、会社を設立して、梅干しをテーマに企画を作るようになりました。

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