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「13歳からのアート思考」は、なぜ生まれたのか?フリーランス美術教師・末永幸歩さんの歩みから紐解く「愛するものに向き合う生き方」

「ものの見方が増え、全てが共存できる」アートの真の魅力に気づく

たしかに編集部大学院進学を機に、もう一度じっくりアート制作と向き合ってみて、いかがでしたか?

末永さんそれが、創作意欲が全く湧いてこなくて。まずそのことに戸惑いました。子どもの頃や学部時代のように「これをつくりたい!」「あれを表現したい!」という気持ちにならない。むしろ「なぜ絵を描くのかな……」「なぜアートをするのかな」と考えてしまって。そうするとどんどん描けなくなっちゃって。

たしかに編集部アートが好き!という気持ちだけで突き進んできた末永さんにとって、自分を見つめ直す時期だったのですね。

末永さんそんな状態だったので少し制作から離れて、いろんなことをやってみることにしたんです。海外を旅して多様な価値観に触れたり、本を読んで改めて美術史を学び直したり。その中でも私の考えをガラリと変えてくれたのが、研究室のメンバーとの出会いです。

たしかに編集部ぜひ、詳しく伺いたいです!

末永さん研究室のメンバーの中に、思慮深く「本当にそうなのかな?」と疑問を大事にする人がいました。今でも覚えているのが「子ども向けの造形ワークショップ」を企画したときのことです。一人の子どもが、なかなかみんなの輪の中に入れず、活動に参加できていない様子でした。それに対して当時の私は「次回はもっと積極的に参加できるようにどうサポートしたらいいだろう?」と議論を持ちかけようとしたんです。

たしかに編集部多くの場合、何も疑わずにそうした議論になりますよね。

末永さんところが、疑問を大事にする研究室のメンバーが、ちがう視点で立ち止まらせてくれたんです。「必ずしも、すぐにその場に馴染まなくてもいいんじゃないかな」と。

末永さんこのように前提を変えて議論すると、活動に参加できなかった子どもをちがった視点で感じられました。もしかしたら、いつもとちがう環境に自分のからだ全身で向き合い受け止めようとしているのかもしれない。そう考えれば、立ちすくんでいる姿もその子にとっては意味のある大事な時間かもしれない。

たしかに編集部型にとらわれない考え方ですね。

末永さんそうなんです。「ふつう、こうだよね?」という固定観念にとらわれない、根本を疑う考え方でした。それを聞いたとき「たしかにそうだよなぁ」と、すごく腑に落ちて。教員生活という1つのフィールドだけにいたことで凝り固まっていた思考が、ほぐされたような感覚になりました。

たしかに編集部当時の末永さんにとって、大きなインパクトを与える考え方だったのですね。

末永さんさらに言うとそうやって「新しいものの見方や考え方」が増えていくそのものが、アートの真の面白さなんじゃないかと気づいたんです。

たしかに編集部というと?

末永さん改めて美術を学び直してみると、偉大なアーティストは皆「自分なりのものの見方や考え方を、世の中に提示している人たち」でした。既存のやり方に疑問を持ち、自分なりの答えを表現している。

末永さんたとえば科学では、考えれば考えるほど答えが1つに絞られていきます。新たな説が出てくる場合もありますが、その場合、過去の答えは新しいものに更新されます。でもアートでは、「本当にそうかな?」「私はこう見える」「僕ならこうするなぁ」と考えれば考えるほど、AだけでなくB・C・D・E……と、解がどんどん並列に増えていくんですよね。

たしかに編集部なるほど!アートは考えれば考えるほど、答えが増えていく学問なんですね。

末永さんおっしゃる通り。それに気づいたとき、これだったんだ!と思いました。私が心から惹かれていたアートの真の魅力は「ものの見方が増え、その全てが共存できる」面白さにあったのだなと。それを書籍としてまとめたのが『13歳からのアート思考』になります。

たしかに編集部末永さんの「アートに対する捉え方」が見つかった瞬間だったのですね!

末永さん振り返ってみると、子どもの頃から多様な価値観が共存する場に心地よさを感じていました。

末永さん父がフリーランスで表現活動をする人だったせいか、私が小学生低学年のころ自宅にはミュージシャンや、自称プロデューサー、手品が得意な人、環境活動家、占い師……など、今考えてみればいろんな人が出入りするごったな感じがありました。そういったところにも、私なりのものの見方が育まれたのかもしれないですね。

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