ゲイであることを絶対に知られたくなかった
ーー本日はよろしくお願いします! ちなみに「つよぽん」というあだ名の由来は……?
安易ですけど、大学時代にタレントの草彅剛さんに似てるからと付いたあだ名なんです(笑)。今はもう似てないのも重々承知なのですが、名前よりあだ名の方が覚えてもらいやすいので、ずっと使っていますね。
ーー理解しました(笑)。つよぽんさんは現在「シーナと一平」で働いているんですよね。
はい。ゲストハウスであるこの「シーナと一平」の番頭として、館全体を管理しています。今は、新型コロナウイルスの影響で宿自体はクローズしてしまっているので、その他諸々の管理業務や助成金関連の手続きをやっていますね。
ーー番頭というと銭湯をイメージしがちですが、宿のお仕事にもそういった肩書があるんですね。
そうですよね。旅館の女将の男性版のような立ち位置で、「若旦那」が由来にあるようです。
ーーもともと学生時代からゲストハウスで働こうと思っていたんですか?
全然違うんです。実は、もともとキー局のアナウンサーになりたくて長崎から上京してきたんですよ(笑)。大学時代には、「アナウンス研究会」というサークルに入って話す練習をしたり番組を作ったりしていましたし、2年生の夏からはアナウンススクールにも通っていました。
少しでも他の人と違ったアピールができたらと思い、アルティメットというスポーツもやっていましたね。結構、真面目に目指していたんです。
ーーたしかに、つよぽんさんめちゃくちゃいい声ですもんね……! 学生生活の多くの時間をアナウンサーになるための勉強に割いていたと。
ありがとうございます(笑)。そうですね。でも、3年生の夏に本格的に就活の時期に入ったときにふと、自分のセクシュアリティのことを考えてしまったんですよね。僕は思春期のときから自分が男性を好きになるんだと何となく気づいていたんですけど、ゲイであると周りにバレてしまうことがすごく嫌だったので、ずっと隠したまま生きるつもりだったんです。
でも、「万が一アナウンサー試験に受かってテレビに出ることになったときに、自分がゲイであることを晒される可能性がある」と思ったら、自分自身の心のバランスが崩れてしまって。アナウンサー試験も全部辞退してしまったんです。
ーーそれは一つ大きな決断でしたね。
はい。アナウンサーになるためにやっていたことが全部無になってしまったので、どうしようかなって。クリエイティブな仕事に関心があったので、エンタメ業界だったらいいかもしれないと思い、そちらに舵を切って就活しました。
結果、大手エンタメ商材のグループ会社から内定をいただきました。面白い人がいたり、クリエイティブな仕事ができたりするんじゃないかなと思い、入社を決めました。ただ、入社直前に自分自身の考えが変わる大きな出来事があって。
ーーどんな出来事だったのでしょうか。
入社前の4年生の3月、ちょうど東日本大震災の1年後に東北にボランティアにいったんですね。そこでは、ボランティアをするだけじゃなくて、一参加しているメンバー同士で、感じたことやこれからの人生について対話をする時間を大切にするプログラムになっていて。
最終日、東北から東京の戻るバスの中でボランティアを通して感じたこと、話したいことを各々発表するとき、一人の同級生の女の子が「話変わるんだけど、実はわたしは女性が好きなんです」と告白をしたんですね。
たった2泊3日一緒に過ごしただけのメンバーだけど、大きな波乱もなくあたたかい空気になったのを目の当たりにしたときに、「ゲイであることを隠したまま過ごしていくのって、本当に僕がしたい生き方なのかな」って。「もっと自分らしく生きたい」と初めて思ったんですよね。
ーー「一生隠したまま生きる」という強い気持ちに変化があったんですね。
はい。それがきっかけで、自分が信頼できる友達や家族に、ゲイであることを少しずつ少しずつ言えるようになりました。でも、そんな中で就職したもんだから、ボランティアをきっかけに思い描いた理想と、今生きなきゃいけない現実のギャップにかなり苦しんだんです。
いざ入社してみたら、想像していたよりもサラリーマン色が強くて、毎日スーツを着て満員電車に乗るという生活。仕事が上手く進められないプレッシャーや、自分にとっては相性が合わなかった上司やバイヤーさんなど人間関係。どうにもできない現実との間でやもやしていました。
そんな中、仕事で大きな失敗をしてしまったことがきっかけで、一気に心と体のバランスを崩してしまい、半年間休職することになりました。