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ゲストハウス「シーナと一平」の番頭 金子翔太さんが新たな夢に取り組む理由

縁がなかった豊島区で見つけた居場所

ーー休職期間はどんな過ごし方をしていたんですか?

実はこの休職期間中に、豊島区の取り組みをしている人たちと繋がりができていったんです。「としま会議」という1ヶ月に1回豊島区にいる面白い取り組みをしている人にゲストスピーカーとして話してもらうイベントの主催の方から連絡をいただいて。

その方とは、東北のボランティアの繋がりで面識があって、「つよぽん、もし時間があるならイベントの手伝いしてもらえない?」とお誘いいただいたんです。いい機会だなと思って参加させてもらうことになりました。

ーー始まりは休職期間中のお手伝いだったんですね。豊島区とは特に縁があったわけではなかった?

そうですね。当時、笹塚に住んでいましたから(笑)。

その後、空き家を再生する「リノベーションスクール」というプロジェクトが豊島区を舞台に初めて東京で開催されることになり、周りから勧めてもらったのでそちらにも参加することにしました。その対象の空き家の一つが、この「シーナと一平」の前身の「とんかつ一平」だったんです。

ーーおお、ここで出会ったんですね。

厳密に言うと、僕は別のコースだったのでその時点では直接の関わりはなかったんです。ただ、としま会議で知り合った日神山さん(「シーナと一平」オーナー・日神山晃一さん)が「とんかつ一平」のプロジェクトメンバーだったので、存在は知ってました。

2泊3日で、大人が集まって知恵出したビジネスプランをオーナーさんにプレゼンをするんですよ。そこで、とんかつ一平は「シーナと一平」として生まれ変わることに決まりました。

その頃には、僕自身も休職していた会社を退職することにしました。

金子翔太さん

ーーなるほど。退職して「シーナと一平」に本格的に関わることになるまでにはどんな経緯があったのでしょうか。

実はリノベーションスクールの後に、フィリピンのセブ島に語学留学に行く計画をしていたので、半年間くらい豊島区の活動を離れていたんです。せっかくだから英語を勉強したいなと思って、語学学校に通いながらテレアポの仕事をするプログラムに参加して、すごく充実した日々を送っていました。

「シーナと一平」に本格的に関わることになったのは、東京に戻る2,3ヶ月前くらいに来た日神山さんからの連絡がきっかけですね。「『シーナと一平』がオープンしてようやく動き出すんだけど、つよぽん帰ってきたら仕事手伝ってもらえるかな?」って。

ーーナイスタイミング……!

帰国後にどんな仕事をするかは明確に決まっていなかったので、日神山さんからのオファーはうれしかったです! ただ、友人と約束していたこともあったので非常に悩んだのですが、その友人にも事情を説明して、「シーナと一平」で働くことを選びました。

帰国後の2016年の4月から住みながら働き始めて、現在に至ります。

ーー「シーナと一平」で働くことに迷いはありませんでしたか?

当時は毎日「自分はいったい何がしたいのか」と考えて悩んでいて、「何かやらせてもらえる機会があるなら僕なんでもやります!」という感じだったんですよ。

留学をしたことで英語のコミュニケーションには自信がついたので、英語を使う仕事に就けたらいいなとは思っていて。だから、ゲストハウスの仕事に誘ってもらえてうれしかったですね。こんなに長く続けると思いませんでしたけど(笑)。もう5年経つかあって。

ーー実際にここで働いてみてどうでしたか?

始めたころはよくわからなかったですね(笑)。もともと宿業界で働いていたわけでもなければ、スキルを持っているわけでもない。一年目は、自分一人の時間がほとんどなかったので住みながら働くことが辛いと感じることもありました。

でもある日、この椎名町でもともと大きい宿屋さんをやっていて仲良くさせてもらっていたスタッフさんに宿屋についてい勉強させてもらう機会があったんですね。予約のプロモーションの掛け方や、HPの見やすさ、お客さんにどうしたらもっと気持ちよく過ごしてもらえるかを教えてもらったら、すごく面白くなっていったんです。

実際に予約が増えて、「地元の人と旅行者が一緒にいる」っていう作りたかった景色をようやく見れるようになって、うれしかったですね。

金子翔太さん

▲2016年、オープンしたてのシーナと一平。キッチンにエプロンをまき立っているのがつよぽんさん。

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