不便を“よし”とする、不便益システムへの招待
川上教授が研究する「不便益システム」について教えてください。
「不便益」とは、“不便”じゃないと得られない、人々にとっての“益”。ユーザーが「不便だからこそ、いいよね」と感じる人工物が、「不便益システム」です。モノ、サービス、ビジネス、ソフトウェアなど、なんでも構いません。手間をかけることでメリットが生まれる点がポイントで、私はその研究や開発を進めています。
不便益とは、具体的にどのようなイメージにあたるのでしょうか。
世の中を見渡しても、不便益システムと呼べるものはたくさんあります。例えば、お菓子の「ねるねるねるね」。水を加えて練ると、色が変わって膨らむ商品ですが、子どもにとってはそのプロセスに価値があるわけです。最初から「練っておきました」と渡しても嫌がられますよね(笑)。分冊百科の「デアゴスティーニ」も、少しずつ手元に届くから面白く、一括購入では十分に魅力を味わえません。攻略サイトや攻略代行サービスを使ってゲームをクリアしても、どこか違和感が残ります。富士山にエスカレーターを建造しないのも、登る辛さが楽しさになっているからです。このように“不便の益”って、結構あるんですね。
実際に川上教授が開発した、不便益システムを教えてください。
「素数ものさし」という、目盛が素数しかない物差しをつくってみました。センチの目盛は2、3、5、7、11、13、17……と間が抜けており、例えば4センチを測りたい場合は、7から3を引かなければなりません。ちょっとした計算のために頭を使うことで、ある種のパズル性が生まれ、楽しい作業になるんです。ネット上では結構話題になったんですよ。
そもそも、なぜ不便益システムを研究しようと思ったのでしょうか?
私が学生だったのは1980年代。第二次人工知能ブームの真っ只中で、私も工学から情報学へと籍を移しました。そこでお世話になった教授により、「不便益」の概念に出会いました。機械工学の中には「人間・機械系」という領域があり、機械と人間を、全体して捉えて研究します。例えば話題の生成系AIであれば、機械が人間を“代替”するのですが、多くの工学系のエンジニアは、この代替を追求します。ですが、人間・機械系ではモノとヒトの関係は、代替だけではないと考えます。その一つとして、“不便”にアプローチしたのが、私の師匠だったのでしょう。
現在、どのような研究を進めているのかを教えてください。
研究室では学生と一緒に、「ChatGPTのような生成系AIを、不便益的に使うためには、どうすればいいか」を考えているところです。従来の認識系、例えば囲碁のAIでは、自分の変わりに碁を打ってもらうこともできますが、これは結局のところ代替です。しかし自分の練習相手にするような、代替以外の使い道もある。今のところ生成系AIは、こうした使途に向かっていないので、それを考えようと意気込んでいるところです。