「ものの見方が増え、全てが共存できる」アートの真の魅力に気づく
大学院進学を機に、もう一度じっくりアート制作と向き合ってみて、いかがでしたか?
それが、創作意欲が全く湧いてこなくて。まずそのことに戸惑いました。子どもの頃や学部時代のように「これをつくりたい!」「あれを表現したい!」という気持ちにならない。むしろ「なぜ絵を描くのかな……」「なぜアートをするのかな」と考えてしまって。そうするとどんどん描けなくなっちゃって。
アートが好き!という気持ちだけで突き進んできた末永さんにとって、自分を見つめ直す時期だったのですね。
そんな状態だったので少し制作から離れて、いろんなことをやってみることにしたんです。海外を旅して多様な価値観に触れたり、本を読んで改めて美術史を学び直したり。その中でも私の考えをガラリと変えてくれたのが、研究室のメンバーとの出会いです。
ぜひ、詳しく伺いたいです!
研究室のメンバーの中に、思慮深く「本当にそうなのかな?」と疑問を大事にする人がいました。今でも覚えているのが「子ども向けの造形ワークショップ」を企画したときのことです。一人の子どもが、なかなかみんなの輪の中に入れず、活動に参加できていない様子でした。それに対して当時の私は「次回はもっと積極的に参加できるようにどうサポートしたらいいだろう?」と議論を持ちかけようとしたんです。
多くの場合、何も疑わずにそうした議論になりますよね。
ところが、疑問を大事にする研究室のメンバーが、ちがう視点で立ち止まらせてくれたんです。「必ずしも、すぐにその場に馴染まなくてもいいんじゃないかな」と。
このように前提を変えて議論すると、活動に参加できなかった子どもをちがった視点で感じられました。もしかしたら、いつもとちがう環境に自分のからだ全身で向き合い受け止めようとしているのかもしれない。そう考えれば、立ちすくんでいる姿もその子にとっては意味のある大事な時間かもしれない。
型にとらわれない考え方ですね。
そうなんです。「ふつう、こうだよね?」という固定観念にとらわれない、根本を疑う考え方でした。それを聞いたとき「たしかにそうだよなぁ」と、すごく腑に落ちて。教員生活という1つのフィールドだけにいたことで凝り固まっていた思考が、ほぐされたような感覚になりました。
当時の末永さんにとって、大きなインパクトを与える考え方だったのですね。
さらに言うとそうやって「新しいものの見方や考え方」が増えていくそのものが、アートの真の面白さなんじゃないかと気づいたんです。
というと?
改めて美術を学び直してみると、偉大なアーティストは皆「自分なりのものの見方や考え方を、世の中に提示している人たち」でした。既存のやり方に疑問を持ち、自分なりの答えを表現している。
たとえば科学では、考えれば考えるほど答えが1つに絞られていきます。新たな説が出てくる場合もありますが、その場合、過去の答えは新しいものに更新されます。でもアートでは、「本当にそうかな?」「私はこう見える」「僕ならこうするなぁ」と考えれば考えるほど、AだけでなくB・C・D・E……と、解がどんどん並列に増えていくんですよね。
なるほど!アートは考えれば考えるほど、答えが増えていく学問なんですね。
おっしゃる通り。それに気づいたとき、これだったんだ!と思いました。私が心から惹かれていたアートの真の魅力は「ものの見方が増え、その全てが共存できる」面白さにあったのだなと。それを書籍としてまとめたのが『13歳からのアート思考』になります。
末永さんの「アートに対する捉え方」が見つかった瞬間だったのですね!
振り返ってみると、子どもの頃から多様な価値観が共存する場に心地よさを感じていました。
父がフリーランスで表現活動をする人だったせいか、私が小学生低学年のころ自宅にはミュージシャンや、自称プロデューサー、手品が得意な人、環境活動家、占い師……など、今考えてみればいろんな人が出入りするごったな感じがありました。そういったところにも、私なりのものの見方が育まれたのかもしれないですね。